オーストラリアと日本にほん
人ひとの絆きずなが生うんだ50年ねんの歩あゆみ

文責ぶんせき
協力きょうりょく

1976年ねんに署名しょめいされた日豪友好協力基本条約にちごうゆうこうきょうりょくきほんじょうやくは、相互信頼そうごしんらいを成文化せいぶんかし、共有きょうゆうの方向性ほうこうせいを示しめしました。半世紀前はんせいきまえに条約じょうやくが目指めざした以上いじょうに、今日こんにちの日豪両国にちごうりょうこくは緊密きんみつであり、戦略的せんりゃくてきにも足並あしなみをそろえています。こうした日豪関係にちごうかんけいの根底こんていにあるのは「人ひと」です。人々ひとびとの繋つながりが条約じょうやくだけではなしえない信頼しんらいと理解りかいを生うみ出だしています。なお本ほんコンテンツは、2026年ねん6月がつ17日にちより8月がつ1日にちまで外務省外交史料館展示室がいむしょうがいこうしりょうかんてんじしつにて開催かいさいされた特別展とくべつてんの内容ないようをもとにしています。

日豪友好協力基本条約にちごうゆうこうきょうりょくきほんじょうやく

Second negotiation round of the Basic Treaty 3 February 1975
Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: A6180, 3/2/75/57.
Signing of the Basic Treaty of Friendship and Co-operation between Australia and Japan 16 June 1976
Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: A13302,1.

歴史的転機れきしてきてんき

1976年ねん6月がつ16日にちに東京とうきょうで署名しょめいされた日豪友好協力基本条約にちごうゆうこうきょうりょくきほんじょうやくは、日豪関係にちごうかんけいの歴史的れきしてきな転機てんきとなりました。当時とうじのオーストラリアのマルコム・フレーザー首相しゅしょうと日本にほんの三木武夫みきたけお内閣総理大臣ないかくそうりだいじんによって署名しょめいされ、1977年ねん8月がつ20日にちに発効はっこうしました。
この条約じょうやくは、両国間りょうこくかんで初はじめて結むすばれた正式せいしきな協定きょうていの一ひとつであり、経済的相互依存けいざいてきそうごいぞんの進展しんてんと、地域ちいきにおける共通きょうつうの利益りえきを背景はいけいに、関係かんけいを強化きょうかしたいという両国りょうこくの思おもいを反映はんえいしたものです。この条約じょうやくは、貿易ぼうえきを越こえ、経済けいざいや政治せいじ、科学かがく、社会しゃかい、文化ぶんかといった幅広はばひろい分野ぶんやでの協力きょうりょくを含ふくむ二国間関係にこくかんかんけいの包括的ほうかつてきな枠組わくぐみを構築こうちくし、平和へいわ、相互尊重そうごそんちょうと協力きょうりょくに基もとづいたパートナーシップの礎いしずえを築きずきました。

歴史的背景れきしてきはいけい

この条約じょうやくは、日本にほんの高度経済成長期こうどけいざいせいちょうきに、石炭せきたん、鉄鉱石てっこうせきや液化天然ガスえきかてんねんガスなどの天然資源てんねんしげんの貿易ぼうえきが両国間りょうこくかんで拡大かくだいしていた時期じきに署名しょめいされました。オーストラリアは日本にほんを主要しゅような経済的けいざいてきパートナーとしてだけでなく、地域ちいきの安定あんていにとって重要じゅうような戦略的せんりゃくてきパートナーとして位置付いちづけていました。

受うけ継つがれたものとその影響えいきょう

署名しょめいから数十年すうじゅうねんにわたり、この条約じょうやくは日豪関係にちごうかんけいの礎いしずえとして重要じゅうような役割やくわりを果はたしてきました。これまでに同条約どうじょうやくが促進そくしんしてきた主おもな事項じこうは以下いかの通とおりです:

  • 上級じょうきゅうレベルでの定期的ていきてきな対話たいわ及び閣僚会合かくりょうかいごう
  • 教育きょういくや観光かんこう、文化交流ぶんかこうりゅうを通つうじた強固きょうこな人的交流じんてきこうりゅう
  • 安全保障分野あんぜんほしょうぶんやの協力強化きょうりょくきょうか、特とくに海洋かいよう及び地域防衛分野ちいきぼうえいぶんやにおける連携れんけい
  • 気候変動きこうへんどうや災害救援さいがいきゅうえん、開発援助かいはつえんじょなどの地球規模課題ちきゅうきぼかだいへの共同きょうどうでの取とり組くみ

同条約どうじょうやくはオーストラリアと日本にほんのゆるぎない友好関係ゆうこうかんけいの象徴しょうちょうであり、両国間りょうこくかんの連携れんけいと協力きょうりょくを導みちびく指針ししんとして機能きのうし続つづけています。

Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: A6135, K18/11/77/2.

「この条約じょうやくは、私たちが日本にほんに寄よせる深ふかい敬意けいいと、これからの未来みらいを日本にほんと共ともに歩あゆむことへの揺ゆるぎない信頼しんらいを示しめすものです。友好協力基本条約ゆうこうきょうりょくきほんじょうやくの署名しょめいは、日豪関係にちごうかんけいがより一層いっそう深ふかまったことを示しめし、将来しょうらいの発展はってんに向むけた確固かっこたる基盤きばんを与あたえるものです。」

1976年ねん6月がつ17日にち基本条約署名式きほんじょうやくしょめいしき フレーザー首相しゅしょうのスピーチより

Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: A6135, K18/11/77/2.

近年きんねんの日豪関係にちごうかんけい

Australia’s Pavilion at the Expo 2025 Osaka, Kansai
On the occasion of the official visit to Australia of the Japanese Prime Minister, Mr Kakuei Tanaka (1974)
The Australian Embassy Japan’s garden in the autumn, looking through the old residence covered entrance

特別とくべつな戦略的せんりゃくてきパートナーシップ

日豪関係にちごうかんけいは、民主主義みんしゅしゅぎ、人権じんけん、自由貿易じゆうぼうえきとルールに基もとづいた国際秩序こくさいちつじょといった共通きょうつうの価値観かちかんに基もとづいています。このパートナシップは両国りょうこくの戦略的せんりゃくてき及び経済的利益けいざいてきりえきにとって不可欠ふかけつです。
両国りょうこくの関係かんけいは、日本にほんがオーストラリア産さんの石炭せきたんや羊毛ようもうを輸入開始ゆにゅうかいしし、日本人移住者にほんじんいじゅうしゃがオーストラリアの農業のうぎょうや海事産業かいじさんぎょうに貢献こうけんし始はじめた1800年代後半こうはんまでさかのぼります。
第二次世界大戦だいにじせかいたいせんによる混乱こんらんを経へて、両国りょうこくの外交関係がいこうかんけいは1952年に再ふたたび樹立じゅりつされました。1957年に署名しょめいされた日豪通商協定にちごうつうしょうきょうていは戦後せんごの力強ちからづよい貿易ぼうえきを、1976年に署名しょめいされた日豪友好協力基本条約にちごうゆうこうきょうりょくきほんじょうやくはより一層深いっそうふかまった繋つながりや投資とうしの促進そくしん、人的交流じんてきこうりゅうを象徴しょうちょうしています。
高官こうかんレベルの往訪おうほうは、日豪関係にちごうかんけいの強化きょうかにおいて重要じゅうような役割やくわりを果はたしてきました。2014年以降いこう、両国りょうこくの首脳しゅのうによる相互訪問そうごほうもんが、特別とくべつな戦略的せんりゃくてきパートナーシップの一環いっかんとして、実施じっしされています。日豪外務にちごうがいむ・防衛閣僚協議ぼうえいかくりょうきょうぎ(2+2)や経済産業けいざいさんぎょう・貿易大臣間ぼうえきだいじんかんの経済対話けいざいたいわなど、定期的ていきてきな閣僚級かくりょうきゅうの会合かいごうは両国間りょうこくかんの協力きょうりょくを一層強化いっそうきょうかしています。
近年きんねんの日豪関係にちごうかんけいは多面的ためんてきであり、堅調けんちょうな貿易ぼうえき・投資とうし、国防こくぼう・安全保障分野あんぜんほしょうぶんやにおける強固きょうこな協力きょうりょく、そして深ふかい文化的ぶんかてきな繋つながりに支ささえられています。こうした関係かんけいの深ふかさは、「特別とくべつな戦略的せんりゃくてきパートナーシップ」によって象徴しょうちょうされています。
両国りょうこくは、米国べいこくとの同盟関係どうめいかんけい、平和へいわで安定あんていし、繁栄はんえいあるインド太平洋地域たいへいようちいきへの貢献こうけんといった、戦略的利益せんりゃくてきりえきを共有きょうゆうしています。両国りょうこくの経済けいざいは補完的ほかんてきであり、開ひらかれた貿易ぼうえきと強靭きょうじんなサプライチェーンに支ささえられています。
最近さいきんでは、2025年大阪おおさか・関西万博かんさいばんぱくへの参加さんかを通つうじて、オーストラリアのイノベーション、文化ぶんか、そしてビジネスの力強ちからづよさを世界中せかいじゅうから訪おとずれた皆様みなさまに紹介しょうかいすることができました。これにより、日本にほんとのつながりはより一層強化いっそうきょうかされ、現代的げんだいてきで多様たようなオーストラリアの姿すがたを伝つたえる貴重きちょうな機会きかいとなりました。

理解促進りかいそくしんの50年

Second reading speech delivered by Australian Prime Minister Malcolm Fraser on the Australia-Japan Foundation Bill 1976
Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: M1276,128.
The Australia-Japan Foundation Bill, submission No.57 1976
Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: A12909,57.
Meeting of the Australia-Japan Foundation 11 November 1976
Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: A6180, 11/11/76/4.
Australia-Japan Foundation Board with Foreign Minister Penny Wong 2026

豪日交流基金ごうにちこうりゅうききん

豪日交流基金ごうにちこうりゅうききん(AJF)は、日豪友好協力基本条約にちごうゆうこうきょうりょくきほんじょうやくが署名しょめいされた1976年に設立せつりつされた、オーストラリアで最もっとも古ふるい二国間文化交流基金にこくかんぶんかこうりゅうききんです。当初とうしょはオーストラリア政府せいふからの支援しえんを受うける独立どくりつした非政府組織ひせいふそしきとして発足ほっそくし、両国りょうこくの相互認識そうごにんしきや理解りかいをより一層深いっそうふかめるとともに、二国間にこくかんの人的交流じんてきこうりゅうの基盤きばんを築きずくことを使命しめいとしていました。
AJFは1980年に東京事務所とうきょうじむしょを開設かいせつし、1990年に在日ざいにちオーストラリア大使館内たいしかんないへ移転いてんしました。現在げんざい、AJFはオーストラリア政府外務貿易省せいふがいむぼうえきしょうの一部いちぶとして活動かつどうしています。
設立以来せつりついらい、AJFはビジネス、学術がくじゅつ、文化ぶんか、そして科学かがくの各分野かくぶんやで意義深いぎぶかい交流こうりゅうを促進そくしんしてきました。また、日本人学生にほんじんがくせいがオーストラリアで研究けんきゅうに取とり組くめるよう奨学金しょうがくきんを提供ていきょうし、次世代じせだいリーダーの育成いくせいにも注力ちゅうりょくしてきました。こうした奨学生しょうがくせいの多おおくが、その後ごオーストラリア研究けんきゅうをけん引いんする研究者けんきゅうしゃへと成長せいちょうしています。同時どうじに、AJFは日本語教育にほんごきょういくへの支援しえんを通つうじて、オーストラリアにおける日本にほんとの関かかわりを一層強化いっそうきょうかしてきました。これにより、新あらたな世代せだいの日本研究者にほんけんきゅうしゃや日本語専門家にほんごせんもんかの育成いくせいにも大おおきく寄与きよしています。
AJFは毎年まいとし、オーストラリアと日本にほんの双方そうほうで幅広はばひろい活動かつどうを支援しえんする助成金じょせいきんプログラムを実施じっししています。助成金じょせいきんプログラムの受賞者じゅしょうしゃやそのネットワークは、両国りょうこくの人的交流じんてきこうりゅうの深ふかさを体現たいげんするとともに、将来しょうらいの新あらたな協力きょうりょくや発展はってんの機会きかいを切きり拓ひらいています。

豪日交流基金ごうにちこうりゅうききん 理事長りじちょう 小川夏子おがわなつこ

「豪日交流基金ごうにちこうりゅうききんの支援しえんのもと、50年以上ねんいじょうにわたり育はぐくまれてきた日豪国民間にちごうこくみんかんのかけがえのない友情ゆうじょうを祝しゅくし、次つぎの世代せだいがさらなる相互理解そうごりかいと協力きょうりょくを深ふかめていけるよう促うながしていきたいと思おもいます。」

小麦こむぎから和食わしょくへ

Sanuki Udon
Image courtesy of Kagawa Prefecture Tourism Association
Wheat being reaped (WA, 2022)
Image courtesy of CBH Group
Wheat being shipped at the Kwinana Grain Terminal (WA, 2023)
Image courtesy of CBH Group
Australian beef enriching Japanese dining tables
Image courtesy of the Meat and Livestock Australia
Australian beef enriching Japanese dining tables
Image courtesy of the Meat and Livestock Australia
Australian Oranges
Image courtesy of Citrus Australia
Australian Table Grapes
Image courtesy of the Australian Table Grape Association
Australian Macadamia Nuts
Image courtesy of the Australian Macadamia Society
Grading of asparagus for export to Japan from Australia 20 November 1986
Image courtesy of the NAA: A6180, 20/11/86/11.
Image courtesy of TOPVALU KK and the Tasmania Feedlot Pty. Ltd

日本にほんの食文化しょくぶんかにおけるオーストラリアの役割やくわり

「食しょく」は長年ながねんにわたり、日本にほんとオーストラリアを結むすぶ「美味おいしい」架かけ橋はしとして親したしまれてきました。大阪おおさかの路地ろじにあふれるメルボルン風ふうコーヒーの香かおりから、高級寿司店こうきゅうすしてんの厨房ちゅうぼうで扱あつかわれる南みなみオーストラリア州産しゅうさんの魚介類ぎょかいるい、そしてチェーン店てんの牛丼ぎゅうどんに使用しようされるオーストラリア産牛肉さんぎゅうにくまで、食しょくを通つうじた交流こうりゅうは私わたしたちの日常にちじょうの中なかにしっかりと根付ねづいています。これらの食材しょくざいと、そのひとつひとつに宿やどる物語ものがたりは、両国りょうこくが貿易ぼうえきだけでなく、味覚みかくや創造性そうぞうせい、そして良質りょうしつな食材しょくざいへの共通きょうつうの評価ひょうかを通つうじて密接みっせつにつながっていることを示しめしています。

コシのあるもちもちした食感しょっかんで全国的ぜんこくてきに親したしまれる讃岐さぬきうどん。しかし、その要かなめとなる小麦こむぎにオーストラリアが深ふかく関かかわっていることは、あまり知しられていません。
1957年に日豪通商協定にちごうつうしょうきょうていが締結ていけつされて以降いこう、オーストラリア産小麦さんこむぎの輸入ゆにゅうは大幅おおはばに増加ぞうかしました。約やく50年前ねんまえ、香川県かがわけんの製粉業者せいふんぎょうしゃや製麺業者せいめんぎょうしゃは、良質りょうしつなうどん作づくりに理想的りそうてきなバランスのグルテン強度きょうどとでんぷん組成そせいを備そなえているオーストラリアン・スタンダード・ホワイト(ASW)の使用しようを開始かいししました。
オーストラリアの生産者せいさんしゃや輸出業者ゆしゅつぎょうしゃは、日本にほんの消費者しょうひしゃや製麺業者せいめんぎょうしゃの厳密げんみつな要望ようぼうに応こたえるため、ASWの品質ひんしつを長年ながねんにわたり改良かいりょうしてきました。現在げんざい、ASWは讃岐さぬきうどんの主要原料しゅようげんりょうとして使用しようされ、日本にほんを代表だいひょうするソウルフードを支ささえています。

小麦こむぎ以外いがいにも、オレンジ、ブドウ、アボカド、そしてマカダミアナッツなど、日本にほんの食卓しょくたくは多おおくのオーストラリアの農産物のうさんぶつで彩いろどられています。そして、中なかでも象徴的しょうちょうてきな存在そんざいなのは、オーストラリア産牛肉さんぎゅうにくです。1953年に対日輸出たいにちゆしゅつが開始かいしされて以来いらい、オーストラリア産牛肉さんぎゅうにくは家庭料理かていりょうりから給食きゅうしょく、レストラン、ホテルなど、様々さまざまな日常にちじょうで親したしまれるようになりました。また程ほどよい霜降しもふり肉にくを提供ていきょうするため、オーストラリアの生産者せいさんしゃは、牧草ぼくそうと穀物こくもつの両方りょうほうを飼料しりょうとする穀物肥育牛こくもつひいくぎゅうの生産せいさんに踏ふみ切きり、日本にほんの消費者しょうひしゃに好このまれる風味ふうみと食感しょっかんを実現じつげんしました。

これらの食材しょくざいは、品質ひんしつと安全性あんぜんせい、オーストラリアの生産者せいさんしゃと日本にほんの消費者しょうひしゃの協力きょうりょくによって育はぐくまれてきた日豪にちごうの食しょくのパートナーシップの信頼性しんらいせいを体現たいげんしています。コミュニティを繋つなぎ、友情ゆうじょうを育はぐくむと共ともに、食卓しょくたくで生うまれる絆きずなの力強ちからづよさを実感じっかんさせてくれるのが食しょくの存在そんざいです。そして、日本にほんとオーストラリアにとって最もっとも大切たいせつなつながりのひとつであり続つづけています。

吉原食糧株式会社よしはらしょくりょうかぶしきがいしゃ 代表取締役社長だいひょうとりしまりやくしゃちょう 吉原良一氏よしはらりょういちし

オーストラリア産小麦さんこむぎ(ASW)は、世界せかいの小麦品種こむぎひんしゅの中なかでも際立きわだって日本にほんの伝統食でんとうしょくであるうどんの嗜好しこうに合あう食感特性しょっかんとくせい(適度てきどな弾力性だんりょくせいのグルテンたん白質ぱくしつと、もちもち性せいとなめらかさに優すぐれるでん粉ぷん)を持もっており、昭和しょうわ40年代ねんだい以降いこう、オーストラリア産小麦さんこむぎの輸入量ゆにゅうりょうは急増きゅうぞうし、日本にほんで有名ゆうめいなさぬきうどんはもとより、全国ぜんこくのうどんの主原料しゅげんりょうとなっています。

戦争捕虜せんそうほりょ

Yokohama Commonwealth War Cemetery – ANZAC Day Memorial Service
Joetsu City Peace Memorial Park – 30th Anniversary Commemorative Ceremony
Photo Courtesy of the Japan-Australia Society of Joetsu
Cowra Japanese War Cemetery, New South Wales © Mayu Kanamori

日豪にちごうにおける戦後せんごの和解わかい

第二次世界大戦中だいにじせかいたいせんちゅう、多おおくのオーストラリア軍人ぐんじんが日本各地にほんかくちの収容所しゅうようじょに戦争捕虜せんそうほりょとして抑留よくりゅうされていました。軍人ぐんじんの多おおくは海外かいがいの戦場せんじょうで捕とらわれた後あと、日本にほんへ移送いそうされ、軍需工場ぐんじゅこうじょうをはじめとする戦時産業せんじさんぎょうでの労働ろうどうを割わり当あてられました。厳きびしい規律きりつ、栄養失調えいようしっちょう、厳寒げんかんの気候きこう、そして空襲くうしゅうに伴ともなう危険性きけんせいといった過酷かこくな環境かんきょうにより、終戦しゅうせんまでに192名めいのオーストラリア人捕虜じんほりょが日本にほんで命いのちを落おとしました。こうした犠牲者ぎせいしゃは横浜市保土ヶ谷区よこはましほどがやくにある英連邦戦死者墓地えいれんぽうせんししゃぼちで埋葬まいそうされています。同墓地どうぼちにはアジア各地かくちで命いのちを落おとした連合軍れんごうぐんの戦争捕虜せんそうほりょ、または戦後せんごの占領軍せんりょうぐんとして日本にほんに駐留中ちゅうりゅうちゅうに死亡しぼうした人々ひとびとも共ともに眠ねむっています。毎年まいとし4月がつ25日にちには、オーストラリアおよびニュージーランドの在日大使館ざいにちたいしかんによって、追悼ついとうと慰霊いれいのためのANZACデー式典しきてんが墓地ぼちで厳粛げんしゅくに執とり行おこなわれています。

直江津市なおえつし(現在げんざいの新潟県上越市にいがたけんじょうえつし)に当時とうじあった収容所しゅうようじょでは、およそ300名めいのオーストラリア軍人ぐんじんが抑留よくりゅうされ、60名めいが命いのちを落おとしました。戦後せんご、収容所職員しゅうようじょしょくいん8名めいが被収容者ひしゅうようしゃの処遇しょぐうをめぐって戦争犯罪せんそうはんざいで起訴きそされ、有罪判決ゆうざいはんけつを受うけました。現在げんざい、上越日豪協会じょうえつにちごうきょうかいが和解わかいの促進そくしんにおいて中心的ちゅうしんてきな役割やくわりを果はたしています。元戦争捕虜もとせんそうほりょとなったオーストラリア人じんやその遺族いぞくとの交流こうりゅう、教育活動きょういくかつどう、そしてコミュニティー主体しゅたいの追悼行事ついとうぎょうじなどを通つうじて、上越日豪協会じょうえつにちごうきょうかいは両国りょうこくが共有きょうゆうする歴史れきしを継承けいしょうし、次世代じせだいへ平和へいわの大切たいせつさを伝つたえ続つづけています。

和解わかいへの取とり組くみは、戦時中せんじちゅう日本人捕虜にほんじんほりょの収容所しゅうようじょが置おかれていたニューサウスウェールズ州しゅうカウラでも進展しんてんしています。1944年ねん8月がつ5日にち未明みめいに、カウラ日本人捕虜集団脱走にほんじんほりょしゅうだんだっそう(通称つうしょうカウラ事件じけん)として知しられる大規模だいきぼな未遂事件みすいじけんが発生はっせいし、234名めいの日本人捕虜にほんじんほりょと4名めいのオーストラリア軍人ぐんじんが命いのちを落おとしました。戦後せんご数十年すうじゅうねんにわたり、日本人墓地にほんじんぼちの手入ていれを地元じもとの退役軍人たいえきぐんじんが率先そっせんして引ひき受うけ、思おもいやりと和解わかいへの強つよい思おもいを示しめしてきました。彼かれらの取とり組くみは、カウラ日本人墓地にほんじんぼちを始はじめ、交換留学こうかんりゅうがくプログラムや、名高なだかいカウラ日本庭園にほんていえんおよび文化ぶんかセンター設立せつりつへと繋つながる基盤きばんを築きずきました。

こうした平和へいわへの強つよい思おもいを背景はいけいに、カウラと上越両市じょうえつりょうしは2003年に平和友好交流意向書へいわゆうこうこうりゅういこうしょに署名しょめいしました。現在げんざい、毎年まいとし執とり行おこなわれるカウラ事件追悼式じけんついとうしきには市民しみんが参列さんれつし、地方自治体関係者ちほうじちたいかんけいしゃや中学生ちゅうがくせいを含ふくむ継続的けいぞくてきな交流こうりゅうを通つうじて相互理解そうごりかいが深ふかまり、歴史れきしの教訓きょうくんが尊厳そんげんと敬意けいいをもって次世代じせだいへ継承けいしょうされています。

上越日豪協会じょうえつにちごうきょうかい 代表だいひょう 関勝氏せきまさるし

直江津捕虜収容所跡地なおえつほりょしゅうようじょあとちに平和記念公園へいわきねんこうえんが造つくられてから30年ねんが経過けいかし、2025年ねん10月がつ18日にちに日豪にちごうの遺族関係者いぞくかんけいしゃ13名めいを迎むかえて記念式典きねんしきてん、講演会こうえんかい、祝賀会しゅくがかいを開催かいさいし、鎮魂ちんこんと恒久平和こうきゅうへいわの祈いのりを捧ささげました。

震災しんさいからの繫つながり

MrRob McNeil visiting Minami Sanriku Memorial alongside former Mayor Jin Sato
April 2011 Then Prime Minister Julia Gillard visiting Minami Sanriku
Credit: Auspic – David Foote
Australian interactive puppet theatre company – Polyglot Theatre ‘Paper Planet’ at Minami Sanriku
Image courtesy of Polyglot Theatre, © Ai Ueda

オーストラリアから東北とうほくへの継続的支援けいぞくてきしえん

2011年ねん3月がつ11日にちの東日本大震災ひがしにほんだいしんさい発生はっせいに対たいし、オーストラリアは迅速じんそくな人道的対応じんどうてきたいおうを行おこないました。オーストラリア政府せいふは震災発生しんさいはっせいの翌日よくじつ、76名めいによる都市捜索救助隊としそうさくきゅうじょたいを宮城県南三陸町みやぎけんみなみさんりくちょうへ派遣はけんしました。政府せいふはさらに、日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃの緊急支援きんきゅうしえんを通つうじて1000万豪まんごうドル相当そうとうの寄付きふを行おこなったほか、オーストラリア空軍くうぐんC-17輸送機ゆそうきによる500トン以上いじょうの必要物資ひつようぶっしや、救援活動きゅうえんかつどうを支援しえんするための日本にほんの要員よういんや車両しゃりょうの輸送ゆそうにあたりました。当時とうじのジュリア・ギラード首相しゅしょうは震災しんさいからわずか1か月後げつごに南三陸町みなみさんりくちょうを訪問ほうもんし、被災地ひさいちを訪おとずれた最初さいしょの外国首脳がいこくしゅのうとなりました。この訪問ほうもんは、困難こんなんな時期じきに日本にほんへの連帯れんたいを示しめす象徴的しょうちょうてきな出来事できごとでした。

2026年ねん3月がつ11日にちで、東北地方とうほくちほうを襲おそった震災しんさいからちょうど15年ねんが経過けいかしました。オーストラリアはこの間あいだ、東北地方とうほくちほうの復興ふっこうに寄より添そう揺ゆるぎないパートナーであり続つづけました。豪日交流基金ごうにちこうりゅうききんは100万豪まんごうドルを越こえる助成金じょせいきんを通つうじて、地域主体ちいきしゅたいの数多かずおおくのプロジェクトを支援しえんしてきました。移動図書館いどうとしょかんの寄贈きぞうや、福島県ふくしまけんに避難ひなんした児童向じどうむけ幼稚園遊具ようちえんゆうぐの贈呈ぞうてい、南三陸町中学生みなみさんりくちょうちゅうがくせいを対象たいしょうにしたオーストラリア短期留学たんきりゅうがくプログラム、児童向じどうむけの参加型舞台芸術さんかがたぶたいげいじゅつワークショップなどがこれに該当がいとうします。また、オーストラリアのジャズ音楽家おんがくかグループは10年以上ねんいじょうにわたり毎年まいとし岩手県いわてけんを訪おとずれ、学校がっこうでのワークショップや地域ちいきでの公演こうえんを実施じっししています。これらの取とり組くみは、人的じんてき・文化的交流ぶんかてきこうりゅうを一層深いっそうふかめるとともに、東北地方とうほくちほうの長期的ちょうきてきなレジリエンス強化きょうかに貢献こうけんしています。

2011年ねん3月がつ、オーストラリアから派遣はけんされた76名めいの都市捜索救助隊隊長としそうさくきゅうじょたいたいちょうを務つとめた
ニューサウスウェールズ州しゅう 元消防救助副局長もとしょうぼうきゅうじょふくきょくちょう ロブ・マクニール氏し

「オーストラリアと日本にほんは、東日本大震災ひがしにほんだいしんさいという困難こんなんな時期じきに団結だんけつし、プロ意識いしきや共感きょうかん、友情ゆうじょう、信頼しんらいを軸じくにした永続的えいぞくてきなつながりを構築こうちくしました。」

オーストラリア学会がっかい

MrRob McNeil visiting Minami Sanriku Memorial alongside former Mayor Jin Sato
April 2011 Then Prime Minister Julia Gillard visiting Minami Sanriku
Credit: Auspic – David Foote
Australian interactive puppet theatre company – Polyglot Theatre ‘Paper Planet’ at Minami Sanriku
Image courtesy of Polyglot Theatre, © Ai Ueda
Australian interactive puppet theatre company – Polyglot Theatre ‘Paper Planet’ at Minami Sanriku
Image courtesy of Polyglot Theatre, © Ai Ueda

知ちを広ひろげる、分野ぶんやを超こえる──専門性せんもんせいが紡つむぐ未来みらい

オーストラリア学会がっかいは1989年に、教育きょういく、研究けんきゅう、関係研究者相互かんけいけんきゅうしゃそうごの協力きょうりょくを促進そくしんし、オーストラリアに関かんする学際的研究がくさいてきけんきゅうの促進そくしんをはかることを目的もくてきとして設立せつりつされました。会員かいいんの研究領域けんきゅうりょういきは、政治せいじ、経済けいざい、社会しゃかい、教育きょういく、文化ぶんか、外交がいこう、地理ちり、芸術げいじゅつ、文学ぶんがくなど多様たような分野ぶんやにわたっています。具体的ぐたいてきには、次つぎの事業じぎょうを行おこなっています。

本学会ほんがっかいでは、学会誌がっかいし『オーストラリア研究けんきゅう』を年ねん1回かい発行はっこうし、学術的がくじゅつてきな成果せいかを広ひろく共有きょうゆうしています。また、毎年まいとし6月がつを原則げんそくとして2日間にちかんにわたり年次大会ねんじたいかいが開催かいさいされ、シンポジウム、セッション、ワークショップなど多様たようなプログラムで構成こうせいされています。さらに、ニュースレター「オーストラリア学会報がっかいほう」を年ねん3回かい発行はっこうし、会員かいいんの最新研究さいしんけんきゅうや訪問研究者情報ほうもんけんきゅうしゃじょうほう、地域研究会ちいきけんきゅうかいや特別とくべつカンファレンスの活動報告かつどうほうこく、出版物情報しゅっぱんぶつじょうほうなどを掲載けいさいしています。会員間かいいんかんの情報交換じょうほうこうかんや学際的がくさいてきな交流こうりゅうを促進そくしんするため、大阪おおさかと東京とうきょうで地域研究会ちいきけんきゅうかいを開催かいさいし、非会員ひかいいんも積極的せっきょくてきに招まねいています。2025年6月時点じてんでの会員数かいいんすうは約やく160名めいです。

在日ざいにちオーストラリア大使館たいしかん、また豪日交流基金ごうにちこうりゅうききん(AJF)による支援しえん、助成じょせいを受うけており、2025年には第だい36回大会かいたいかいを慶応大学日吉けいおうだいがくひよしキャンパスで実施じっしし、オーストラリアから招待しょうたいされて参加さんかした研究者けんきゅうしゃの発題はつだいを含ふくめ、多様たような研究成果けんきゅうせいかが発表はっぴょうされました。

2026年は静岡県立大学草薙しずおかけんりつだいがくくさなぎキャンパスにて第だい37回大会かいたいかいが開催かいさいされます。本大会ほんたいかいのテーマは 「Diversity of Growing Multicultural Societies(成長せいちょうする多文化社会たぶんかしゃかいの多様性たようせい)」とし、地域社会ちいきしゃかいにおける多様性たようせい、包摂ほうせつ、支援実践しえんじっせんといった現代的課題げんだいてきかだいを視野しやに入いれつつ、日豪両国にちごうりょうこくの社会しゃかいのあり方かたについて考かんがえる機会きかいを設もうけます。
また、2027年7月には、オーストラリア日本研究学会にほんけんきゅうがっかい(JSAA)との共催きょうさいによる研究大会けんきゅうたいかいの実施じっしを予定よていしており、これはオーストラリアと日本にほんの学術交流がくじゅつこうりゅうにおける新あらたな協力きょうりょくの章しょうを刻きざむものとなります。

筑波大学つくばだいがく 堤純先生つつみじゅんせんせい

本団体ほんだんたいは、オーストラリアをこよなく愛あいし、知しり尽つくす者ものによるスペシャリスト集団しゅうだんです。

先住民交流せんじゅうみんこうりゅう

知識ちしきの共有きょうゆうとイノベーションの推進すいしん

オーストラリアは、きわめて多様たようなアボリジナルおよびトレス海峡諸島かいきょうしょとうの人々ひとびとの故郷こきょうであり、彼かれらはそれぞれの文化ぶんか、言語げんご、信条しんじょう、そして慣習かんしゅうを有ゆうしています。これらの伝統でんとうは、6万まん5000年以上ねんいじょうにわたり継続けいぞくして受うけ継つがれてきた、世界最古せかいさいこの文化ぶんかです。

オーストラリア先住民せんじゅうみんの人々ひとびとはこの数十年間すうじゅうねんかん、日本にほんの先住民せんじゅうみんや一般社会いっぱんしゃかいを含ふくむ国際こくさいコミュニティと積極的せっきょくてきに交流こうりゅうし、文化的知識ぶんかてきちしき、創造性そうぞうせい、そしてイノベーションを世界中せかいじゅうで共有きょうゆうしています。1965年に日本にほんで初はじめてアボリジナル・アートの展示会てんじかいが開催かいさいされ、1970年にはAboriginal Theatre Foundation(アボリジナル・シアター財団ざいだん)のパフォーマーたちが、大阪おおさかで開催かいさいされた日本万国博覧会にほんばんこくはくらんかいに出演しゅつえんしました。その中なかには、後のちに国際的こくさいてきに高たかく評価ひょうかされる俳優はいゆう・アーティストのデイビッド・ガルピリル氏しも含ふくまれていました。日本にほんの観客かんきゃくはその後ごも、先住民せんじゅうみんアーティストたちが手掛てがける作品さくひんを受うけ入いれ続つづけてきました。中なかでも特とくに知しられているのが、2008年に大阪おおさかと東京とうきょうで開催かいさいされた「エミリー・ウングワレー展てん アボリジニが生うんだ天才画家てんさいがか(Utopia: The Genius of Emily Kame Kngwarreye)」です。

直近ちょっきんでは、メルボルン大学だいがくやオーストラリア国立大学こくりつだいがくと北海道大学ほっかいどうだいがくの関係かんけいに代表だいひょうされるような学術交流がくじゅつこうりゅうが進すすみ、教育機関きょういくきかんの繋つながりが一層強化いっそうきょうかされています。ジャスティン・モハメド先住民担当大使せんじゅうみんたんとうたいしは、先住民せんじゅうみんの文化ぶんか、経済けいざいと協働きょうどうの精神せいしんを力強ちからづよく発信はっしんした2025大阪おおさか・関西万博かんさいばんぱくのテ・アラティニ先住民せんじゅうみんウィークに合あわせて来日らいにちしました。期間中きかんちゅう、両国りょうこくの先住民せんじゅうみんシェフは共ともに料理りょうりを披露ひろうし、両国りょうこくに共通きょうつうする伝統でんとうや現代的げんだいてきな創造性そうぞうせい、そして日豪先住民にちごうせんじゅうみんの友好ゆうこうと協力関係きょうりょくかんけいの強化きょうかが示しめされました。

ジャスティン・モハメド先住民族担当大使せんじゅうみんぞくたんとうたいし

「日本にほんへの訪問ほうもんを通つうじて、両国りょうこくがさらに深ふかく交流こうりゅうするための可能性かのうせいを示しめすことができました。東京とうきょうや万博会場ばんぱくかいじょうで、産業界さんぎょうかいのリーダーの方々かたがたとお会あいし、先住民関連企業せんじゅうみんかんれんきぎょうにとっての新あらたな貿易ぼうえき・投資とうしの機会きかいについて意見交換いけんこうかんを行おこないました。また、北海道ほっかいどうではアイヌ民族みんぞくの人々ひとびととお会あいする機会きかいもあり、互たがいの民族みんぞくの文化ぶんかや伝統でんとうを共有きょうゆうするとともに、こうした関係かんけいを今後こんごさらに強化きょうかしていくことの重要性じゅうようせいも確認かくにんしました。」

海うみからの繫つながり

First lifesaving exchange in Shimoda, Shizuoka in 1983
Image courtesy of Mr Ron Rankin
Japanese next-generation lifesavers learning from Australian counterparts. Sydney, 2026
Image courtesy of Japan Lifesaving Association

日豪にちごうライフセービングの物語ものがたり

豪日交流基金ごうにちこうりゅうききん(AJF)は、1980年初頭ねんしょとうにオーストラリアのサーフライフセービングを日本にほんに紹介しょうかいするうえで重要じゅうような役割やくわりを果はたしました。日本にほんには独自どくじの海岸安全かいがんあんぜんシステムが存在そんざいしていたものの、政府せいふと地域社会ちいきしゃかいに支ささえられた、コミュニティー主体しゅたいのボランティアによるライフセービングという概念がいねんは新鮮しんせんなものでした。3年間ねんかんにわたって相互訪問そうごほうもんが行おこなわれ、オーストラリアのライフセーバーがレスキュー器材きざいと共ともに来日らいにちし、海岸かいがんパトロール技術ぎじゅつの実演じつえんを行おこなったり、日本にほんの関係者かんけいしゃが渡豪とごうし、ライフセービングのインフラや文化ぶんかについて学まなびました。

こうした早期そうきの交流こうりゅうは、日本にほんライフセービング協会きょうかい(JLA)創立そうりつの基盤きばんを築きずくとともに、ライフセービングが日本にほんで認知にんちされ、社会的しゃかいてきに評価ひょうかされる活動かつどうとして確立かくりつされることに大おおきく寄与きよしました。安全あんぜんに関かんする取とり組くみにとどまらず、この交流こうりゅうプログラムは奉仕ほうし、チームワークと海うみへの理解りかいといった共通きょうつうの価値観かちかんを通つうじて、両国りょうこくの若わかいライフセーバーたちを結むすぶ文化的ぶんかてき架かけ橋はしとなりました。

現在げんざいもこの交流こうりゅうは活発かっぱつに行おこなわれています。サーフライフセービングオーストラリア(SLSA)とJLAの間あいだで覚書おぼえがきが締結ていけつされ、訓練くんれん、競技きょうぎ、そして教育きょういくにおける継続的けいぞくてきな協力関係きょうりょくかんけいが正式せいしきに制度化せいどかされています。1999年に締結ていけつされた下田しもだライフセービングクラブとマルチドーサーフライフセービングクラブの姉妹しまいクラブ提携ていけいを始はじめ、長年ながねんにわたる交流こうりゅうは現在げんざいも活発かっぱつに続つづいています。毎年まいとしの相互訪問そうごほうもんや合同ごうどうパトロールを通つうじて、深ふかい友情ゆうじょうと相互学習そうごがくしゅうが育はぐくまれています。

2026年には、AJFの助成金じょせいきんを活用かつようした新あらたなライフセービング交流こうりゅうプロジェクト「Next Wave Japan-Australia Lifesaving Exchange Program」が発動はつどうし、JLAとSLSAのさらなる連携れんけいを後押あとおしします。このプロジェクトは次つぎの世代せだいの育成いくせいやライフセービング技術ぎじゅつの強化きょうかに加くわえ、40年以上前ねんいじょうまえに始はじまった文化交流ぶんかこうりゅうの伝統でんとうを継承けいしょう・発展はってんさせるものです。

日本にほんライフセービング協会きょうかい 理事長りじちょう 入谷拓哉いりたにたくや 氏し

豪日交流基金ごうにちこうりゅうききんのご支援しえんのおかげで、今日こんにちの日本にほんにおけるライフセービングの礎いしずえが築きずかれ、その後ごも着実ちゃくじつに発展はってんを続つづけることができております。人材交流じんざいこうりゅうや知識ちしき・技術ぎじゅつの共有きょうゆうといった多面的ためんてきな支援しえんがあったからこそ、日本独自にほんどくじの発展はってんを遂とげながらも国際的こくさいてきな視野しやを持もった活動かつどうへと成長せいちょうすることができました。これまで積つみ重かさねられてきた取とり組くみの一ひとつひとつが、現在げんざいの安全あんぜんな水辺環境みずべかんきょうの創出そうしゅつや人材育成じんざいいくせいにつながっていることを、改あらためて実感じっかんしております。こうした長年ながねんにわたる多大ただいなるご支援しえんに対たいし、心こころより深ふかく感謝かんしゃ申もうし上あげますとともに、今後こんごもそのご期待きたいに応こたえられるよう、一層いっそうの努力どりょくを重かさねてまいります。

陶芸とうげいと文化交流ぶんかこうりゅう

In her studio, Canberra, Australia 2023
Photographer: Keiko Matsui
After finishing shaping her iconic piece 1972 / Photograph by Cornel Swen
Ms Hiroe Swen exhibiting in Australia, 1972
Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: A1501、A14110

スウェン博江氏ひろえしの作品さくひん

工芸技術こうげいぎじゅつには、国家こっかのアイデンティティを形作かたちづくる物語ものがたりや伝統でんとう、技能ぎのうが宿やどっています。それゆえ、文化交流ぶんかこうりゅうにおいて非常ひじょうに力強ちからづよい媒体ばいたいとなっています。オーストラリアと日本にほんの芸術家げいじゅつかは、陶芸とうげいや織物おりもの、木工品もっこうひんといった手工芸品しゅこうげいひんを通つうじて、意味いみのあるつながりを築きずき上あげ、互たがいの創造的そうぞうてきな世界せかいを豊ゆたかにしてきました。

オーストラリアと日本にほんは、活気かっきに満みち、発展はってんし続つづける文化的ぶんかてき・芸術的げいじゅつてきパートナーシップを共有きょうゆうしています。陶芸とうげいを始はじめとする工芸技術こうげいぎじゅつは、この交流こうりゅうの中心的ちゅうしんてきな役割やくわりを果はたしてきました。戦後せんご、日本にほんの陶芸家とうげいかは指導しどうのためにオーストラリアへ渡わたり、現地げんちの陶芸とうげいスタジオに影響えいきょうを与あたえ、オーストラリア現代陶芸げんだいとうげいの基盤きばんを築きずく上うえで大おおきく貢献こうけんしました。

スウェン博江氏ひろえしは、この交流史こうりゅうしにおいて最もっとも影響えいきょうを与あたえた人物じんぶつの1人りです。先駆的せんくてきな芸術家げいじゅつかとして知しられるスウェン氏しは、自身じしんの作品さくひんと人生じんせいを通つうじて、異文化いぶんかコミュニケーションの精神せいしんを体現たいげんし続つづけています。1934年に生うまれたスウェン氏しは、当時とうじ数少かずすくない女性陶芸家じょせいとうげいかの一人ひとりでした。オーストラリアではすでに民藝みんげいの工芸こうげいが広ひろく知しられていましたが、日本にほんの現代陶芸美学げんだいとうげいびがくを伝つたえたのは、1968年に移住いじゅうしたスウェン氏しでした。

それから半世紀はんせいきにわたり、スウェン氏しはオーストラリアの陶芸界とうげいかいに大おおきな変革へんかくをもたらす存在そんざいとなりました。日本的感性にほんてきかんせいとオーストラリアの影響えいきょうを融合ゆうごうした彼女独自かのじょどくじの芸術観げいじゅつかんは、新鮮しんせんかつ魅力的みりょくてきな視点してんをもたらし、数世代すうせだいにわたり陶芸家とうげいかに影響えいきょうを与あたえてきました。スウェン氏しは約やく25年間ねんかん、オーストラリア国立大学美術学部こくりつだいがくびじゅつがくぶで教鞭きょうべんに立たって多おおくの学生がくせいを指導しどうし、オーストラリアの現代工芸分野げんだいこうげいぶんやの発展はってんに貢献こうけんしました。

スウェン氏しの実績じっせきは、日本にほんとオーストラリア両政府りょうせいふから表彰ひょうしょうを受うけるなど、最もっとも高たかいレベルで評価ひょうかされています。オーストラリア、日本にほん、そして世界各地せかいかくちの公的こうてき・私的してきコレクションに収蔵しゅうぞうされる彼女かのじょの作品さくひんは、工芸文化こうげいぶんかの懸かけ橋はしとなり、創造的そうぞうてきな交流こうりゅうを育はぐくむ力ちからを秘ひめています。在日ざいにちオーストラリア大使館たいしかんでは日豪にちごうの文化交流ぶんかこうりゅうにおけるスウェン氏しの貢献こうけんを讃たたえ、彼女かのじょの作品さくひんを展示てんじしています。

2025年の帰国きこく以来いらい、スウェン氏しは工芸こうげいを通つうじて日豪交流にちごうこうりゅうを促進そくしんし、長年ながねんにわたり続つづく両国間りょうこくかんの対話たいわを一層豊いっそうゆたかなものへと発展はってんさせています。彼女かのじょのライフワークは、手工芸しゅこうげいは単たんなる芸術作品げいじゅつさくひんではなく、文化ぶんかや繫つながり、そして共有きょうゆうする伝統でんとうの伝承者でんしょうしゃであることを力強ちからづよく伝つたえてくれます。そして京都きょうとで92歳さいの誕生日たんじょうびを迎むかえた現在げんざい、亡なき夫おっとコーネルが遺のこした和紙わしに施ほどこしたろうけつ染ぞめ作品さくひん(dye paintings)の再生さいせいに取とり組くみ、生涯現役しょうがいげんえきの芸術家げいじゅつかとして歩あゆみ続つづけています。

スウェン博江氏ひろえし

57年間ねんかんのオーストラリアでの陶芸活動とうげいかつどうは私わたしの人生じんせいの核かくをなす、充実じゅうじつした素晴すばらしいものでした。そして、これから日本にほんでのアーティスト生活せいかつが楽たのしみです。

補助犬ほじょけんを通つうじた社会福祉しゃかいふくしへの支援しえん

Guide Dogs Australia labradors farewelled at Melbourne Airport ahead of their journey to Japan 1979
Image Courtesy of the NAA: B941, AIRCRAFT/CARGO/LIVESTOCK/1.
Japan Service Dog Association General Training Centre Cynthia’s Hill, February 2025
Australian expert and JSDA staff, 2016 at JSDA training center

オーストラリアと日本にほんは、補助犬ほじょけんという社会しゃかいで最もっとも献身的けんしんてきな働はたらき手てに関連かんれんした長期的ちょうきてきなパートナー関係かんけいを築きずいています。盲導犬もうどうけんや介助犬かいじょけんの存在そんざいは、両国りょうこくの社会福祉制度しゃかいふくしせいどの強化きょうかをサポートすると共ともに、その過程かていで喜よろこびやふれあいを私わたしたちに与あたえてくれます。

この分野ぶんやでの交流こうりゅうの歴史れきしは、豪日交流基金ごうにちこうりゅうききんが当時とうじの「Common Interest Program(共通きょうつうの関心かんしんプログラム)」を通つうじて、盲導犬もうどうけんインストラクター間かんの交流こうりゅうの支援しえんを開始かいしした1980年代ねんだいまでさかのぼります。こうした初期しょきのつながりは、日本にほんへの新あらたな訓練法くんれんほうの導入どうにゅうを促うながし、両国りょうこくの盲導犬団体もうどうけんだんたいにおける長期的ちょうきてきな関係かんけいの糸口いとぐちとなりました。日豪にちごうの組織そしきは数十年すうじゅうねんにわたり、現地げんち、国際社会こくさいしゃかい両方りょうほうのレベルでお互たがいの活動かつどうを支ささえ合あい、専門知識せんもんちしきの共有きょうゆうや信頼しんらい、犬いぬへの継続的けいぞくてき愛情あいじょうを軸じくにしたコミュニティを形成けいせいするに及およんでいます。

こうした協力きょうりょくは近年きんねん、日本介助犬協会にほんかいじょけんきょうかいを通つうじてさらに拡大かくだいしています。同協会どうきょうかいはオーストラリアの組織そしきとの積極的せっきょくてきな提携ていけいを通つうじて、介助犬かいじょけんの繁殖はんしょくや訓練くんれんについての高度こうどな方法ほうほうを学まなんでいます。これらの交流こうりゅうにより、日本にほんはオーストラリアの最良慣行さいりょうかんこうを通つうじて、現代的げんだいてきな介助犬教育かいじょけんきょういくや普及活動ふきゅうかつどうの国内推進こくないすいしんを推おし進すすめ、身体的障しんたいてきしょうがいを持もつ人々ひとびとをサポートする力ちからを高たかめています。その成果せいかは、移動時いどうじの支援しえんが必要ひつような人々ひとびとへのより包摂的ほうせつてきな環境かんきょうの実現じつげん、こうした人々ひとびとの暮くらしに欠かかせない補助犬ほじょけんへの訓練くんれんの向上こうじょうという形かたちで表あらわれています。

このパートナーシップは、単たんなる技術面ぎじゅつめんでのノウハウにとどまりません。その中心ちゅうしんにあるのはアクセスの向上こうじょうや尊厳そんげん、独立どくりつの実現じつげんに向むけたコミットメントの共有きょうゆうです。両国りょうこくはこれからも認証にんしょうプロセスや福祉ふくしの基準きじゅん、社会しゃかいへの啓蒙活動けいもうかつどうについての知見ちけんを分わかち合あい、補助犬ほじょけんとそのサポートを必要ひつようとする人々ひとびとが、最高さいこうレベルの支援しえんを受うけられるよう努つとめていきます。

日本介助犬協会にほんかいじょけんきょうかい ゼネラルマネージャー 水上言氏みずかみことし

豪日交流基金ごうにちこうりゅうききんの支援しえんにより、補助犬ほじょけんのサポート体制たいせいで新あらたな一歩いっぽを踏ふみ出だすことができました。

共ともにゴールへ

© AFL JAPAN
© AFL JAPAN
Mitch Owens選手
© AFL JAPAN
Alex Davies選手
© AFL JAPAN

日豪にちごうAFL交流こうりゅう

オーストラリアと日本にほんは、スポーツを通つうじて深ふかく、そして継続的けいぞくてきにつながっています。日本各地にほんかくちで行おこなわれている、通称つうしょう「フッティー」または「オージー・ルールズ」として知しられるオーストラリアン・ルールズ・フットボール(AFL)でも、その友好的ゆうこうてきなライバル関係かんけいが息いきづいています。AFLは国内こくないで最もっとも人気にんきのあるスポーツの一ひとつであり、オーストラリア独自どくじの文化ぶんかを体現たいげんしています。

AFLは18人制にんせいのチームで、楕円形だえんけいのボールを用もちいて楕円形だえんけいのフィールド上じょうで試合しあいが行おこなわれます。両りょうチーム合あわせて36人にんがプレーする非常ひじょうにダイナミックなスポーツです。男女だんじょ問とわず、多おおくのファンに親したしまれています。年ねんに一度いちどのグランド・ファイナル(決勝戦けっしょうせん)はオーストラリアで最もっとも注目ちゅうもくされるスポーツ・イベントの一ひとつであり、地元じもとのフッティー・クラブは数かぞえきれないほど多おおくの地域ちいきのボランティアによって支ささえられています。

AFLが日本にほんに紹介しょうかいされたのは1986年。オーストラリアの著名ちょめいな2チームがエキシビション・マッチを行おこなうために来日らいにちし、2万5000人にんの観客かんきゃくを魅了みりょうしました。この試合しあいをきっかけに日本にほんでの関心かんしんが高たかまり、のちに国内こくないリーグが発足ほっそくし、現在げんざいでは6つのチームと女子日本代表じょしにほんだいひょうチーム「ミライズ」が活躍かつやくしています。

日本にほんでのAFL普及ふきゅうの中心的存在ちゅうしんてきそんざいとなっているのが、日本にほんオーストラリアンフットボール協会きょうかい(AFL JAPAN)です。国内こくないリーグの運営うんえい、草くさの根ねレベルでの競技参加きょうぎさんかの促進そくしん、国際大会こくさいたいかいに出場しゅつじょうする日本代表にほんだいひょうチームの支援しえんなど、多岐たきにわたる活動かつどうを行おこなっています。また、2025大阪おおさか・関西万博かんさいばんぱくのオーストラリア・パビリオンでも、デモンストレーションやワークショップを通つうじてAFLの魅力みりょくが発信はっしんされました。

現在げんざい、AFLのプロ・リーグでは日本にほんにルーツを持もつ選手せんしゅが2名めい活躍かつやくしています。ゴールドコースト・サンズ所属しょぞくのアレックス・デイビズ選手せんしゅは、2025年シーズンにクラブ史上初しじょうはつとなるファイナル進出しんしゅつに貢献こうけんしました。セントキルダ・セインツ所属しょぞくのミッチ・オーウェンズ選手せんしゅも数多かずおおくのゴールを決きめ、チームの主力しゅりょくとして存在感そんざいかんを示しめしています。

AFL JAPAN 代表理事だいひょうりじ 久納陽介氏くのようすけし

「AFL JAPAN は、AFLを単たんなる競技きょうぎスポーツとしてだけでなく、人ひとと人ひとを繋つなぎ、文化交流ぶんかこうりゅうを促うながし、業界ぎょうかいの発展はってんにも寄与きよするプラットフォームだと捉とらえています。私わたしたちは、その価値かちと魅力みりょくを国内こくないで戦略的せんりゃくてきに発信はっしんしていくことに努つとめています。日本にほんの若わかいアスリートがAFLに挑戦ちょうせんし、輝かがやける未来みらいを信しんじて、私わたしたちはこのスポーツのユニークな価値かちをこれからも発信はっしんし続つづけます。」

オーストラリア・ハウス

Elena Knox’s residency. Photo by Yoko Arakawa
Australian culture workshop inside Australia House
Photo by Nakamura Osamu
Image courtesy of National Archives of Australia, NAA: A1501、A14110

大地だいちの芸術祭げいじゅつさいの里さとの懐ふところに抱いだかれた日豪交流にちごうこうりゅうの拠点きょてん

新潟県十日町市浦田地区にいがたけんとおかまちしうらだちくにあるオーストラリア・ハウスは、大地だいちの芸術祭げいじゅつさいの里さとの懐ふところに抱いだかれた日豪交流にちごうこうりゅうの拠点きょてんです。

初代しょだいオーストラリア・ハウスは2009年に誕生たんじょうしました。そこでは地区ちくの住民じゅうみんやサポーターとの協働きょうどうによってアーティスト・イン・レジデンス・プログラムが活発かっぱつに展開てんかいされていました。この建物たてものは、2011年3月12日の長野県北部地震ながのけんほくぶじしんによって全壊ぜんかいしましたが、日豪にちごうから再建さいけんを望のぞむ声こえが高たかまり、オーストラリア・ハウスは再生さいせいされることになりました。

2代目だいめで、現在げんざいのオーストラリア・ハウスは、日本にほんの震災しんさいからの復興ふっこうの象徴しょうちょうとして、防災性ぼうさいせいや環境かんきょうへの配慮はいりょがなされた建物たてものとなりました。そして安藤忠雄氏あんどうただおし(建築家けんちくか)を審査委員長しんさいいんちょうとする国際こくさいコンペティションにより選定せんていされたオーストラリアの建築家けんちくかのデザインに基もとづき、日本にほんの建築家けんちくか、十日町市とおかまちし、地域住民ちいきじゅうみん、オーストラリア政府せいふなどの力ちからを結集けっしゅうして建設けんせつされ、2012年の大地だいちの芸術祭げいじゅつさいの中心的ちゅうしんてきな作品さくひんの一ひとつとしてオープンしました。また恒久作品こうきゅうさくひんとしてオーストラリア先住民せんじゅうみんにルーツを持もつアーティスト、ブルック・アンドリューの「ディラン・ンラング-山やまの家いえ」が設置せっちされました。

建物たてものは2013年に、オーストラリア建築家けんちくかによる優すぐれた海外かいがいプロジェクトに贈おくられるヨーン・ウッツォン賞しょうを受賞じゅしょうしています。アーティスト、キュレーターや学生がくせいが滞在たいざい・制作せいさく・発表はっぴょうを行おこなうレジデンシー、オーストラリアの情報発信基地じょうほうはっしんきち、日豪にちごうの様々さまざまなコミュニティーの交流施設こうりゅうしせつといった多様たような機能きのうを持もちながら、オーストラリア・ハウスは人々ひとびとの対話たいわの場ばを構築こうちく・提供ていきょうしています。

浦田地区うらだちく 竹内密浩氏たけうちみつひろし

オーストラリア・ハウスに滞在たいざいするアーティストを地元じもとの人ひとが受うけ入いれ、「うちのごはんも喜よろこんでくれて、こっちまで心こころが温あたたかくなったよ。こんな交流こうりゅう、これからも続つづけたいね」と話はなしていました。

学まなびの国際交流こくさいこうりゅう

University of Tokyo students participating in an exchange program at University of Melbourne, 2017
Visiting Professor Melanie Oppenheimer, Tokyo 2019

日豪教育にちごうきょういくパートナーシップ

教育きょういくは日豪関係にちごうかんけいにおいて、最もっとも力強ちからづよい役目やくめを果はたすと共ともに、人的交流じんてきこうりゅうの中心的役割ちゅうしんてきやくわりを長ながいこと担になってきました。学校提携がっこうていけいから大学だいがくレベルの研究協力けんきゅうきょうりょくに至いたるまで、こうしたパートナーシップは相互理解そうごりかいを深ふかめ、国際感覚こくさいかんかくを育はぐくむと共ともに、長期的ちょうきてきな人的じんてき・学術的交流がくじゅつてきこうりゅうを生うみ出だします。

オーストラリアは日本にほんの高校こうこうの修学旅行先しゅうがくりょこうさきとして、最もっとも人気にんきのある国くにです。また日本にほんとの姉妹校提携しまいこうていけいが多おおく、その数かずは約やく640に及およんでいます。こうした提携ていけいは高等教育こうとうきょういくレベルでも同様どうようで、両国りょうこくの大学間だいがくかんには700を超こえる研究けんきゅう・開発分野かいはつぶんやの協力協定きょうりょくきょうていが存在そんざいします。その多おおくは、共同学位きょうどうがくいやダブルディグリー制度せいどを認みとめる戦略的せんりゃくてきな提携関係ていけいかんけいの形かたちを取とっています。

こうした継続的けいぞくてきな関与かんよの優すぐれた一例いちれいとして挙あげられるのが、1978年から存在そんざいしている東京大学とうきょうだいがくのオーストラリア研究けんきゅうプログラムです。東京大学とうきょうだいがくは半世紀近はんせいきちかくにわたり、オーストラリアの学術専門家がくじゅつせんもんかを継続的けいぞくてきに受うけ入いれてきました。

このオーストラリア客員教授きゃくいんきょうじゅプログラムは現在げんざい、東京大学駒場とうきょうだいがくこまばキャンパスにあるアメリカ太平洋地域研究たいへいようちいきけんきゅうセンターを拠点きょてんとしています。毎年まいとしオーストラリアの専門家せんもんかが一名いちめい招聘しょうへいされ、専門分野せんもんぶんやに関かんするコースで学生がくせいの指導しどうを行おこないます。担当たんとうする科目かもくは様々さまざまですが、学士課程がくしかていのコースではオーストラリアの文化ぶんかや歴史れきし、社会しゃかいを扱あつかう場合ばあいが多おおく、地域ちいきや国際社会こくさいしゃかいにおけるオーストラリアの立場たちばを広ひろく理解りかいするためのサポートを行おこないます。

豪日交流基金ごうにちこうりゅうききんが助成じょせいするこのプログラムにおいて、招聘しょうへいされた客員教授きゃくいんきょうじゅは、両国間りょうこくかんの懸かけ橋はしとなって知的活動ちてきかつどうや共同研究きょうどうけんきゅう、学術交流がくじゅつこうりゅうを推おし進すすめるなど、教室きょうしつ以外いがいでも大切たいせつな役目やくめを果はたします。また、オーストラリア学会がっかいのような組織そしきを通つうじて日本にほんの学術関係者がくじゅつかんけいしゃと力ちからを合あわせ、国内こくないのオーストラリア研究けんきゅうの進展しんてんを支ささえる活発かっぱつなネットワークの形成けいせいに貢献こうけんします。

こうした学術交流がくじゅつこうりゅうは長年ながねんにわたって、新あらたな研究けんきゅうパートナーシップやスタッフ交流こうりゅう、長期的ちょうきてきな組織間交流そしきかんこうりゅうを実現じつげんさせています。こうした交流こうりゅうから、教育分野きょういくぶんやでの外交がいこうが、二国間関係にこくかんかんけいの強化きょうかや次世代じせだいリーダーの育成いくせいを通つうじて、いかに両国りょうこくを豊ゆたかにしているのかがわかります。

キャサリン・ボンド 東京大学客員教授とうきょうだいがくきゃくいんきょうじゅ(2025-26)

教育きょういくにおける絶たえ間まない卓越性たくえつせいの追求ついきゅうとその恩恵おんけいの社会的還元しゃかいてきかんげんが、オーストラリアと日本にほんをつないでいます。

食しょくと未来みらいを共ともに

Visit to Adelaide – Meals on Wheels Noarlunga Branch, 1998
Visit by Deputy President Hunt to Tokyo, 2000
Visit by Governor-General to MOWJ kitchen – September 2025

日豪協力にちごうきょうりょくの40年ねん

全国食支援活動協力会ぜんこくしょくしえんかつどうきょうりょくかい(MOWJ)とミールズ・オン・ホイールズ南みなみオーストラリア協会きょうかい(MOWSA)は、1980年代ねんだいの交流開始こうりゅうかいし以来いらい、両国りょうこくの高齢者支援こうれいしゃしえんに関かんする知見ちけんを共有きょうゆうしながら、緊密きんみつな協力関係きょうりょくかんけいを維持いじしてきました。

1984年にオーストラリア大使館員たいしかんいんの親族しんぞくが来日らいにちした際さい、MOWSAと同様どうようの高齢者向こうれいしゃむけ配食はいしょくサービスに対たいする関心かんしんから、世田谷区せたがやくにある老人給食協力会ろうんきゅうしょくきょうりょくかいふきのとうが行おこなっていた昼食会ちゅうしょくかいを訪問ほうもんしました。ふきのとうは、そもそもは1970年代ねんだいに子育こそだて中ちゅうの母親ははおやたちが子供こどもの遊あそび場ばの安全確保あんぜんかくほを目的もくてきとして始はじめたボランティア団体だんたいでしたが、その後ご、地域ちいきで孤立こりつしがちな高齢者こうれいしゃを支ささえるための会食会かいしょくかいを行おこなう組織そしきへと発展はってんしていました。

この初期しょきの交流こうりゅうは、当時とうじふきのとうの代表だいひょうを務つとめていた平野真佐子氏ひらのまさこしの関心かんしんを引ひきました。そして平野氏ひらのしまさこしの働はたらきかけにより、豪日交流基金ごうにちこうりゅうききんの支援しえんを受うけて、1985年にMOWSAの主要しゅようメンバーを招まねいたシンポジウムが開催かいさいされました。このシンポジウムで行おこなわれたディスカッションが、後のちのMOWJ設立せつりつの基盤きばんとなりました。

2024年は、MOWSAとMOWJの協力開始きょうりょくかいしから40周年しゅうねんにあたりました。この年としMOWSAの代表団だいひょうだんは豪日交流基金ごうにちこうりゅうききんの支援しえんを受うけて来日らいにち、日本にほんの政府関係者せいふかんけいしゃとの面会めんかいやラウンドテーブル・公開こうかいシンポジウムの参加さんかのほか、覚書おぼえがきの改定かいていを行おこないました。

この長年ながねんにわたる交流こうりゅうは、現在げんざいも双方そうほうに大おおきな利益りえきをもたらしています。MOWJは、社会的弱者しゃかいてきじゃくしゃである子供こどもや高齢者こうれいしゃの食料不安しょくりょうふあんに対応たいおうする新あらたな取とり組くみを進すすめており、MOWSAは介護かいごケアが変化へんかする中なかで、高齢者こうれいしゃの孤独こどくや孤立こりつの軽減けいげんに重点じゅうてんを置おいています。

食事しょくじの場ばを共ともにするという一見いっけんささやかな行為こういには、人ひとと人ひととの深ふかいつながりを育はぐくむ力ちからがあります。MOWSAやMOWJのような団体だんたいの継続的けいぞくてきな協力関係きょうりょくかんけいは、地域社会ちいきしゃかいの中なかで最もっとも支援しえんを必要ひつようとしている人々ひとびとをより力強ちからづよく支ささえることにつながります。

MOWJ事務局長じむきょくちょう 平野覚治氏ひらのかくじし

これからも日豪にちごうのMOWが連携れんけいしながら、社会課題しゃかいかだいの解決かいけつに向むけて世界せかいの食支援活動しょくしえんかつどう(MOW、他ほか)団体だんたいとつながりたいと考かんがえております。豪日ごうにちの50周年しゅうねんを心こころよりお祝いわい申もうし上あげます。

コアラからクオッカまで

The Governor of Tokyo with koalas at Taronga Park Zoo
Photo Courtesy of the NAA: A6135, K15/5/84/1
Eucalyptus grown in Tokyo that was sent to Taronga Zoo in Sydney for tasting tests
Opening of the Tama Zoological Park Koala House
Photo Courtesy of the Tokyo Zoological Park Society
Quokka at the Saitama Children’s Zoo
Photo Courtesy of the Saitama Children’s Zoo

2 koalas sent from State of Queensland to the Hirakawa Zoological Park
Photo Courtesy of the Hirakawa Zoological Park, Kagoshima City

4 Koalas at Taronga Zoo in Sydney waiting to travel to Japan (two each for Tama Zoological Park and Higashiyama Zoological and Botanical Park)
Photo Courtesy of the NAA: A6135, K3/10/84/13, 14, 15, 16

日本にほんで愛あいされるオーストラリアの可愛かわいい大使たいしたち

オーストラリアを代表だいひょうする野生動物やせいどうぶつのコアラやクオッカは、友好ゆうこうのシンボルとして親したしまれ、長年ながねんにわたり日本にほんとオーストラリアの友好ゆうこうの懸かけ橋はしとして活躍かつやくしてきました。

オーストラリアのみに生息せいそくするコアラは、日本にほんの人々ひとびとを何十年なんじゅうねんにもわたり魅了みりょうしてきました。1984年のコアラの初来日はつらいにちは、日豪関係にちごうかんけいにとって重要じゅうようなものとなりました。両国間りょうこくかんの姉妹州しまいしゅう・姉妹都市提携しまいとしていけいが拡大かくだいする中なか、当時とうじのバリー・コーエン オーストラリア内務ないむ・環境大臣かんきょうだいじんの主導しゅどうにより、最初さいしょのコアラが日本にほんへ寄贈きぞうされ、日豪間にちごうかんの結むすびつきの強化きょうかが図はかられました。

これによりその年とし、名古屋市なごやしの姉妹都市しまいとしであるシドニーから東山動植物園ひがしやまどうしょくぶつえんへ、東京都とうきょうとの姉妹州しまいしゅうであるニューサウスウェールズ州しゅうから多摩動物公園たまどうぶつこうえんへ、そしてクイーンズランド州しゅうから鹿児島市平川動物園かごしましひらかわどうぶつえんへ、計けい6匹ぴきのコアラが送おくられました。

各動物園かくどうぶつえんはコアラを迎むかえるために、ユーカリの栽培さいばい、施設しせつの整備せいび、専門的せんもんてきな飼育技術しいくぎじゅつの習得しゅうとくなど、数年すうねんかけて準備じゅんびが行おこなわれました。多摩動物公園たまどうぶつこうえんでは、東京とうきょうで育そだてたユーカリの葉はをオーストラリアへ持もち込こみ、コアラが食たべるかどうかを試ためす検証けんしょうを行おこないました。

近年きんねんでは、「世界一幸せかいいちしあわせな動物どうぶつ」として知しられるクオッカも、日本にほんに住すむオーストラリアの動物どうぶつたちの仲間なかまに加くわわりました。2020年に埼玉県さいたまけんこども動物自然公園どうぶつしぜんこうえんの開園かいえん40周年しゅうねんを記念きねんして、フェザーデール・ワイルドライフ・パークからクオッカが送おくられました。

同園どうえんはすでに多おおくのオーストラリアの動物どうぶつを飼育しいくしていましたが、そこに新あらたにクオッカが加くわわりました。現在げんざい、クオッカを飼育しいくしているのは日本にほんでこの園えんのみです。

多摩動物公園たまどうぶつこうえん 園長えんちょう 渡部浩文氏わたなべひろふみし

多摩動物公園たまどうぶつこうえんのコアラ飼育しいくは開始かいしまでに多おおくの苦労くろうがありました。私わたしたちは長年ながねんにわたり飼育管理しいくかんりを続つづけるだけでなく、野生やせいのコアラの大切たいせつさも伝つたえてきました。これからもコアラの未来みらいを守まもる取とり組くみを続つづけていきます。

科学外交かがくがいこう

Japan hands over Bicentennial gift to Prime Minister Bob Hawke, 1987 Australia’s Bicentenary – Japanese ambassador at National Science and Technology Centre, 1988
Image Courtesy of the NAA: A8746, KN21/8/87/7
Science Circus Tour 2014 opening at Minami Sanriku, Miyagi, April 2014
Questacon at the Australia Pavillion, Expo 2025 Osaka Kansai Japan
Australia’s Bicentenary – Japanese ambassador at National Science and Technology Centre, 1988
Image Courtesy of the NAA: A6180, 11/5/88/1.

クエスタコンと日豪関係にちごうかんけい

オーストラリアの国立科学技術こくりつかがくぎじゅつセンター「クエスタコン」は、同国どうこくの建国けんこく200周年しゅうねんを記念きねんして1988年に設立せつりつされました。クエスタコンの開館かいかんは、オーストラリアの科学教育かがくきょういくにおける大おおきな節目ふしめとなっただけでなく、日本にほんとの国際協力こくさいきょうりょくを象徴しょうちょうする重要じゅうような出来事できごとでもあります。日本政府にほんせいふ及および日本企業にほんきぎょうは、キャンベラに建設けんせつされたこの専用施設せんようしせつに対たいし、建設費けんせつひの半額はんがく(約やく10億円おくえん、約やく1000万豪まんごうドル)を拠出きょしゅつしました。この寛大かんだいな寄贈きぞうは日豪共同にちごうきょうどう200周年しゅうねんプロジェクトの一環いっかんとして行おこなわれ、1976年に署名しょめいされた日豪友好協力基本条約にちごうゆうこうきょうりょくきほんじょうやくに基もとづく日豪関係にちごうかんけいの強化きょうかを象徴しょうちょうするものでした。日本にほんの参加さんかは、両国りょうこくの教育きょういく、イノベーション、そして科学普及活動かがくふきゅうかつどうに対たいする強つよい思おもいを示しめすものです。

クエスタコンは、その後ごもこの永続的えいぞくてきなパートナーシップを尊重そんちょうし、日本にほんで複数回ふくすうかいにわたり「サイエンスサーカスツアー」を実施じっししています。2014年には開館かいかん25周年しゅうねんを記念きねんして、2011年ねん東日本大震災ひがしにほんだいしんさいの被害ひがいを受うけた東北地方とうほくちほうの4つの自治体じちたいを訪問ほうもんし、参加型さんかがたの科学体験かがくたいけんを提供ていきょうするとともに、教育きょういくを通つうじた地域ちいきの復興支援ふっこうしえんに取とり組くみました。2018年と2023年にもツアーを行おこない、サイエンス講座こうざや実験じっけん、情報交流じょうほうこうりゅうを通つうじて協力関係きょうりょくかんけいを一層深いっそうふかめました。直近ちょっきんでは、2025大阪おおさか・関西万博かんさいばんぱくのオーストラリア・パビリオンに参加さんかし、長年続ながねんつづく科学かがくを中心ちゅうしんとした国際協力こくさいきょうりょくのプログラムをさらに発展はってんさせました。

日豪科学関係にちごうかがくかんけいは、幅広はばひろい分野ぶんやで発展はってんし続つづけています。はやぶさミッションや太平洋たいへいようでの海洋研究かいようけんきゅう、ロボット教育きょういくプログラムなど、多おおくの共同きょうどうイニシアティブが発足ほっそくしました。2025年には、1980年に締結ていけつされた日豪科学技術研究開発協力協定にちごうかがくぎじゅつけんきゅうかいはつきょうりょくきょうていが45周年しゅうねんを迎むかえました。ノーベル物理学賞受賞者ぶつりがくしょうじゅしょうしゃブライアン・シュミット博士はかせを含ふくむ多おおくのオーストラリア人研究者じんけんきゅうしゃが、日本学術振興会にほんがくじゅつしんこうかいを通つうじて研究活動けんきゅうかつどうを進すすめてきました。この協力きょうりょくは科学的発見かがくてきはっけんを促うながすだけでなく、両国りょうこくの戦略的せんりゃくてきパートナーシップを強化きょうかし、科学かがくが外交がいこう、イノベーションと共通きょうつうの進展しんてんに向むけた力強ちからづよい架かけ橋はしであり続つづけることにも貢献こうけんしています。

クエスタコン 館長かんちょう ジョー・ホワイト氏し

「クエスタコンは、日豪にちごうの友好関係ゆうこうかんけいを象徴しょうちょうする継続的けいぞくてきなシンボルです。日豪にちごうのパートナーシップは、クエスタコンが国内外こくないがいの科学かがくコミュニケーションやエンゲージメントの拠点きょてんとして成長せいちょうするうえで、重要じゅうような役割やくわりを果はたしてきました。」

姉妹都市しまいとし

Ginkgo presented by students from Matsudo City, being cultivated at the botanical garden in Canberra (1960)
Photo Courtesy of the NAA: A1501, A2251/1
A scene from the sister – city declaration signing ceremony (1971)
Photo Courtesy of the NAA: A6180, 25/6/74/6
Canberra-Nara Candle Festival (2010)
Photo Courtesy of Nara City

姉妹都市しまいとし ― オーストラリアと日本にほんをつなぐ「人ひとと人ひと」の絆きずな

姉妹都市関係しまいとしかんけいに代表だいひょうされる地方自治体ちほうじちたいによる外交がいこうは、長期的ちょうきてきな市民交流しみんこうりゅう、文化交流ぶんかこうりゅう、草くさの根ねレベルでの協力きょうりょくを通つうじて、日豪関係にちごうかんけいを力強ちからづよく支ささえています。こうした地域ちいきレベルのつながりは、市民しみん、学校がっこう、文化機関ぶんかきかん、地方自治体ちほうじちたいの間あいだに持続的じぞくてきな友情ゆうじょうを育はぐくみ、国家間外交こっかかんがいこうを補完ほかんする重要じゅうような役割やくわりを果はたしています。

現在げんざい、日本にほんとオーストラリアの間あいだには、107の公式こうしきな姉妹都市関係しまいとしかんけいがあり、これは両国りょうこくにとって最大規模さいだいきぼのネットワークの一ひとつです。教育きょういく、スポーツ、芸術げいじゅつ、環境かんきょう、青少年交流せいしょうねんこうりゅうなど、幅広はばひろい分野ぶんやで築きずかれてきたこれらの関係かんけいは、相互理解そうごりかいを深ふかめ、次世代じせだいに向むけた新あらたな可能性かのうせいを生うみ出だすうえで欠かかせない存在そんざいとなっています。

最もっとも初期しょきかつ象徴的しょうちょうてきな例れいの一ひとつが、千葉県松戸市ちばけんまつどしとオーストラリア・ビクトリア州しゅうのボックスヒル市し(現在げんざいのホワイトホース市し)との関係かんけいです。この交流こうりゅうは1958年、松戸市まつどしの中学生ちゅうがくせいが東京とうきょうのオーストラリア大使館たいしかんにユーカリの種たねを送おくってくれるよう頼たのみ、返礼へんれいとしてイチョウの種たねを贈おくりたいと手紙てがみを書かいた、ささやかでありながら心こころのこもった行動こうどうから始はじまりました。このやり取とりにより、松戸市まつどしにはユーカリが植うえられ、キャンベラの植物園しょくぶつえんではイチョウが育そだつこととなりました。この善意ぜんいに満みちた交流こうりゅうが契機けいきとなり、1971年に正式せいしきな姉妹都市提携しまいとしていけいが結むすばれました。

より近年きんねんの例れいとしては、1993年に提携ていけいしたキャンベラ市しと奈良市ならしの姉妹都市関係しまいとしかんけいが挙あげられます。この関係かんけいは30年以上ねんいじょうにわたり、年次ねんじフェスティバル、文化使節団ぶんかしせつだんの往来おうらい、教育交流きょういくこうりゅう、そして奈良平和公園ならへいわこうえんやキャンベラ―奈良なら キャンドル・フェスティバルといった公共こうきょうアートの協力事業きょうりょくじぎょうを通つうじて発展はってんしてきました。特とくにキャンドル・フェスティバルは、毎年まいとし多おおくの来場者らいじょうしゃを集あつめる行事ぎょうじとなっています。このパートナーシップは、地方自治体ちほうじちたいが地域社会ちいきしゃかいに深ふかく根ねざした、持続可能じぞくかのうな国際関係こくさいかんけいを築きずく好例こうれいとなっています。

これらの姉妹都市関係しまいとしかんけいは、日豪関係にちごうかんけいにおける地方自治体ちほうじちたいによる外交がいこうの価値かちを明確めいかくに示しめしています。市民同士しみんどうしを直接ちょくせつ結むすびつけることで、相互そうごの信頼しんらいや学まなび、長期的ちょうきてきな協力関係きょうりょくかんけいが育はぐくまれ、日豪にちごうの友情ゆうじょうは社会しゃかいのあらゆるレベルで着実ちゃくじつに広ひろがり続つづけています。

松戸市長まつどしちょう 松戸隆政氏まつどたかまさし

今年ことしは、両市りょうしが姉妹都市しまいとしを提携ていけいして55周年しゅうねんです。これからも市民しみんレベルの交流こうりゅうを通つうじてお互たがいを友ともとして、次世代じせだいへ受うけ継つがれる両市りょうしの持続的発展じぞくてきはってんにつながることを願ねがいます。